DOWAホールディングス株式会社

私たち を取り巻く世界には、化学物質による汚染やエネルギー問題、地球温暖化、オゾン層の破壊など、多様な環境問題が存在します。地球規模で進むこれらの環境破壊は、お互いが強く影響し合っており、その解決には国境を越えて取り組まなくてはなりません。
DOWAグループは、「地球を舞台とした事業活動を通じ、豊かな暮らしの創造と資源循環社会の構築に貢献する」という企業理念のもと、国際間での物質循環システムの構築による資源リサイクルを促進し、環境負荷の少ない製品・技術を開発、また廃棄物管理や土壌浄化を中心とする環境リスクの低減を進めるなど、事業を通じて世界規模の環境・エネルギー問題に真剣に取り組んでいます。
事業活動の展開にあたっては、さまざまな立場のステークホルダーの方々とかかわりながら、透明性の高い経営体制を構築し、また、リスクマネジメント体制の整備や内部統制システムの強化を行い、信頼される企業づくりに努めています。

藤田傳三郎(ふじた でんざぶろう)

藤田傳三郎イメージ創業者、藤田傳三郎は、長州萩の生れ、高杉晋作らの奇兵隊にも参加したが、維新後はあえて官途につくことを求めず、実業をもって国利民福に奉仕することを信条とした。かくて軍の御用達にはじまり、当時すでに土木請負業、鉄道・運輸事業、電気事業、紡績、硫酸工業などの先駆的事業を興していた。
鉄道事業にあたっては、有志とはかり今日の山陽本線の前身山陽鉄道神戸ー下関間や、わが国最初の私鉄阪堺鉄道(のち南海電鉄)を開設した。
土木請負業では東海道線大阪・京都・大津、長浜・敦賀間の建設と逢坂山・柳ヶ瀬両トンネルの開削工事、佐世保・呉両軍港の建設、琵琶湖疏水の開削、大阪五大橋橋梁工事などを施工、東の大倉組、西の藤田組と並び称せられた。
しかし、小坂鉱山払下げ後は、その主力を鉱山に集中した。関西財界の雄となった傳三郎は、大阪商工会議所の前身である大阪商法会議所や大阪商品取引所を創立して大阪商人の指導的役割を果たし、文化面では『毎日新聞』の前身『大阪日報』の再興、アキタ鉱山専門学校(現・秋田大学)の設立に大きく力を貸した。

児島湾の干拓

児島湾干拓イメージ藤田傳三郎が情熱を注いだ、いま一つの事業として児島湾干拓がある。これまでも児島湾干拓は岡山藩主らにより断続的に行われてきたが、海潮が運んでくる泥土は日に半紙一枚の厚さ、一年でその沖積は半紙一束にすぎない。
藤田組第一期工事としては、周囲延長30キロメートルの海岸に防潮堤を築き、これに十数か所の排水樋門を設けて潮の干満により泥砂を沈殿させ、最後に潮止工事を完成して1800ヘクタールを干拓しよう とするものであった。明治32年5月着工、軟弱地盤に苦闘しながらも、第1区38年、第2区45年に完成、藤田農場としてわが国干拓地農業の改善と農業機械化に大きく貢献した。 その後、昭和10年まで工事は続き、合計約3,000ヘクタールの干拓を完成させた。